店長あいさつ(20240519)

ごあいさつ

本日は、IKEBUKURO難病カフェにご来店いただき誠にありがとうございます。当カフェ店長の佐藤裕美と申します。
お手元のプログラムにある通り、本日は【『心地よさ』を表現するコンサート〜あなたの「心地いい」は何ですか?〜】というタイトルでゲストの稲垣寧々花(いながきねねか)さんをお招きし、開催いたします。
稲垣寧々花さんは私の若い友人です。世代を超えて仲良くさせていただいています。好きなものの話、学んでいることや取り組んでいることの話、平和についても話します。こんな私にお付き合いくださる人というだけで、どれだけ寛大で、優しい方であるかはご想像がつくと思います。今日のこの時間のために、寧々花さんとは何度もリモートで対話を重ねました。学業でお忙しい中で、カフェのためにと準備に多くの時間を割いてくれました。
コンサートというと、一般に楽器や歌を用いてパフォーマンスをする人を鑑賞する、というスタイルになりますが、本日のコンサートはそれだけではありません。
まずは、少しだけこのコンサートを企画した経緯について話させてください。
このカフェにはルールがあります。「楽な姿勢で参加してください」「無理をしないでください」というルールです。ここで私は皆さまにお詫びしなければなりません。私は店長でありながら、前回のカフェで自らこのルールを破ってしまいました。私は、自身の車椅子の操作音を気にして、ずっと無理な姿勢のまま参加し続けていたのです。
車椅子の操作音を出すこと、それは私自身が「そこに皆といること」にとって極めて重要な行為です。私はみんなと一緒にこの場所にいたいのです。私はカフェのルールを守ったうえで、みんなと一緒にいるために、何をすべきだったのでしょうか。
私は前回のカフェの閉店後、店長として、車椅子の操作をすることは自らの姿勢の維持や健康にとって必要なことであること、またその操作には音が出ることを伝える必要があったと大きく後悔をしました。知らせるために伝える、ということです。それは、「理解を求める」こととも「許しを乞う」こととも「協力してもらう」こととも異なる行為です。「私はこんな私である」と、伝えるということです。
今日のコンサートは「心地いい」を考えるコンサートです。心地いい時間の前に、少しだけお耳を貸してください。「心地いい」は「心地悪い」と表裏一体です。「心地いい」の逆サイドに「心地悪い」がある。どこからが「心地悪い」かは人それぞれです。いえ、人によっては「心地いい」と「心地悪い」が、誰かとは逆かも知れません。そして、その心地悪さの度合いも、その人にとっての切実さも、一人ひとりまったく異なるのだと思います。思わず笑みの溢れるような心地よさも、息苦しいほどの心地悪さも、他人が勝手にラインを引いて、誰かにとってのその範囲を決めるのは変な話です。「考え過ぎだよ」「こんなことくらい我慢しなよ」。私も言われることがあります。人数の多い人たちが決めた「フツー」のラインだから、それが苦しいという少数の人にも無理矢理当てはめて、押し付けていいというのは、ずいぶん乱暴な話だと私は思います。

誰にでもある「心地いい」を伝え合ってみること。そして誰かの「心地いい」を考えてみること。「心地いい」を求める事はわがままではありません。「皆が我慢しているのだから、あなたも我慢せよ」ということではなく、「皆がそれぞれに、自分らしい心地よさ、自分らしい幸せをのびのびと求められる状態」を私は肯定したいと思います。それは誰かの「しんどさ」に思いを巡らせることでもあります。
「互いのことを伝え合い、知り合ったうえで、どういう『われわれの幸せな世界』の在り方が考えられるだろうか」。これは、私たちカフェの核と言えるテーマです。誰かを排除することで、この場が成立するという考え方を私は選びません。その人がその人であることを阻害するあらゆるものに抗いたいと、私自身は考えています。それは、平和や命や、人としての権利の問題と重なります。
私たちカフェが目指すのは「難病患者のためだけの居場所づくり」ではありません。私たちは、難病患者もそうでない人も「当たり前に、それぞれが幸せな形でそこに皆と一緒にいること」を考え続けます。たとえそれがどんなに難しいことであっても、私たちは模索し続けたいと思います。まだまだ未熟な私たちですが、これからも見守っていただけましたら幸いです。
ここでお願いです。
色々とお話ししましたが、どうぞすべて忘れてください。
ここからは本当に楽な姿勢で、どうぞリラックスしてお楽しみいただければと思います。
スタッフは皆様のそばにおります。お気軽にお声掛けください。
改めまして、本日はご来店ありがとうございました。

2024年5月19日
IKEBUKURO難病カフェ
佐藤裕美